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<多度雅楽の祖所>
江戸寛政期の幕府の老中として窮民救済に力を注いだ松平定信は、雅楽を愛好した文人でした。定信の末裔は、桑名藩主となり、雅楽研究に努め、多度雅楽の源流となりました。深川の霊厳寺に定信の墓所があります。桑名の楽人は江戸参勤の折、深川で雅楽を演奏したのでしょうか。
<松尾芭蕉の草庵>
東京奏楽所の所在する深川は、江戸時代に俳聖 松尾芭蕉が江戸で居住していたところです。元禄2(1689)年9月、松尾芭蕉(46歳)は、奥の細道の旅路を終えて、曽良の叔父良成が住職をつとめる伊勢長島の長松山大智院に逗留し、多度大社(権現)を参詣しました。
深川と多度は、芭蕉の旅路で結ばれていました。芭蕉も多度で神楽を奉納したのでしょうか。
伊勢の国多度権現のいます清き拝殿の落書。
武州深川の隠泊船堂主 芭蕉
濃州大垣観水軒の主 谷木因
勢尾廻国の句 商人、四季折々の句召され候へ
伊勢人の発句すくはん落葉川 木因
右(上記)の落書を厭ふの心
宮守よわが名を散らせ木葉川 芭蕉(桜下文集)
宮人よ我が名を散らせ落葉川 芭蕉(笈日記※)
※落葉川は、多度大社の境内を流れる多度山の湧水の御手洗(みたらし)川
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