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[ 多度大社の御神威 ]


以下は、歴史的考察等をもとに記載しています。社伝は多度大社のサイトをご覧下さい。

御信仰の起源
   多度山は神々が宿る所として太古から人々に厚く信仰されてきました。平安時代に朝廷制定の「延喜式内社」として多度の五社(多度、小山、尾津、野志里、宇賀)が名を連ね、なかでも、多度神社は名神大社として伊勢国の最上位(神宮は全国最上位)に位置付けられています。

 多度は、天神地神(あまつかみ くにつかみ)の鎮まる多度山と小山を背景に、美しい入り江のある景勝地です。この自然の恵みに祖先の霊を託しつつ、山の民は多度山を仰ぎ、水辺の民は多度山と小山を拝し、海人は海上から多度の山々に祈ったことが、多度山御信仰の起源です。

元伊勢の北伊勢大神宮
   崇神天皇の代に、天照大神(あまてらすおおみかみ/内宮御祭神)を皇居の外に遷宮することになり、その神霊は現在の伊勢に鎮座するまで何年間も、近江、美濃等を巡りました。その跡は「元伊勢」と呼ばれています。多度山の頂きが水辺に映える野志里は、天照大神が伊勢に向かうまでの4年間滞在された元伊勢でした。また、多度山の宇賀には豊受大神(とようけおおみかみ/外宮御祭神)と同じ稲作の神の祠があります。

 こうして、多度山を御神体とする多度の神々は、天照大神を伊勢国へお招きして伊勢へお導きしたことから、伊勢皇太神宮に対して、北伊勢大神宮と称されてきました。

桑名首と一目連
   多度神は、日本最初の神々のうち面足尊(おもたるのみこと)と煌根尊(かしこねのみこと)に、天津彦根命(あまつひこねのみこと)を合わせもって御祭神としています。天照大神の皇子である天津彦根命は、桑名地方を支配した桑名首(くわなのおびと)とされ、白馬が駆け巡って天照大神を伊勢へお導きしたと伝えられています。

 また、桑名首の皇子である別宮の一目連(いちもくれん/ひとつめのむらじ)は、荒ぶる神々を龍蛇となって鎮めた神と伝えられ、御扉なき神殿から突如として出現されます。

雨風支配と産業開発の神
   多度大社は、多度神と一目連を主神とした神々の社であり、多度山を景観する勢濃尾の海山に太陽と雨風を支配して豊かな恵みを与える神として、また、畿内(都)への東玄関かつ東海道と中山道への基点となる国土陸海交通の神として、さらに、古代に先進鋳鉄を擁した火の神を礎に産業開発の神として、人々に厚く信仰されています。

薬師と武運の神
   古代国家の英雄である倭建命(やまとたけるのみこと)は、伊吹山での病を多度の山奥に滞在して養生するとともに、置き忘れた刀が多度の尾津にあった一本松にそのまま残されていたことを喜び詠われました。

 この古事によって、多度山は、倭建命が養生した薬師の神として、また、刀を守った武運の神として、信仰を集めました。薬師神は、疫病救済に力を注いだ仏教と融合して多度神宮寺創建の源となり、多度山に病気平癒を願う人々が多数詣でるようになりました。武運の神は、天照大神を奉じた大海人皇子の戦勝にも寄与したことから、後世においても伊勢平氏をはじめとする武家の氏神として崇められ、上げ馬や流鏑馬が尾津で奉納されるようになりました。

人々の信仰の形
   多度大社の例大祭は、多度山と小山一円の御厨(みくりや/神領村)が上げ馬を奉納するもので、神使いの稚児馬は多度山を拝する上げ馬の祭馬とともに小山を一巡し、御神威を広めます。 この御神威を受ける一方で、人々は多度神宮寺を起源とする神仏習合の影響を受けて、熱心な浄土真宗の門徒にもなっています。多度山の恵みを受けた人々の信仰は厚く、神仏と生きる喜びを分かち合いながら、農耕武士の名残のある伝統は受け継がれております。
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